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七六  聖マリアの被昇天



 聖母はその終わりが近いことを感じられたので、おん子の指示にしたがって、祈りにより使徒たちを自分の所に呼び寄せられた。聖母は今や六十三才になっておられた。キリストのご誕生の時は十五才であった。

 イエズスはご昇天の前に、聖母にその地上のさすらいの終わりに際し、使徒たちに告ぐべきことを明かされた。また主は聖母がかれらに最後の祝福を与えるように指示された。さらに神のおん子は聖母自身に二、三の精神的な仕事を委任されたが、その仕事の成就後に天国への憧れが充たされることになるのであった。その当時、主はまたマグダレナに荒野に退くように指示され、マルタには婦人団体の創立を命ぜられ、ご自身はその援助者となることを約束された。

 さて、使徒たちは聖母の祈りによって天使からエフェゾに旅立つようにすすめを受けた。

 ペトロは当時アンチオキア地方にいた。少し前までエルサレムにいて迫害を受けたアンドレアは使徒の頭からほど遠からぬ所にいた。わたしはペトロが壁に寄り寝ているのを見た。その時、一人の輝く青年が近づき、その手を取ってマリアの許に急ぐよう、なおその途中でアンドレアに逢うだろうと告げた。ペトロは寄る年波と疲労のためにその体はすでに硬張っていた。ペトロは起き上がって、手で膝を支えながら天使の言葉を聞いていた。それから立ち上がってマントを打ちかけ、着物を端折り杖を取って出発した。間もなくかれは、同じ出現に呼ばれたアンドレアに出会った。

 さらに進み行くうちにタデオといっしょになったが、かれにもまた天使が告げたのである。そうしてかれらはマリアの所に来たが、そこでまたヨハネにも出会った。かれは平素はエフェゾとその近在に留まっていた。かれは少し前には聖地にいたが、そこへしばしば旅をしていた。

 ユダ・タデオとシモンはお召しを受けた時にはペルシャにいた。バルトロメオは紅海の東にいた。かれは非常に如才のない美しい、色白の人で、高い額、大きな目、黒いちぢれた髪と二つに分かれたあごひげとを持っていた。この度は聖家族の親戚かあるいは知り合いの者だけが呼ばれたのでパウロには何のお召しもなかった。 -

 トマは聖母のご死去後になってやっと到着した。かれはお召しを受けた時にはインドにいた。お召しの天使がかれに現れた時には、芦の小屋で祈っていた。わたしはかれが大変素朴な従者とともに小舟に乗り水をずっと渡って行くのを見た。そしてかれは街には寄らずに陸地を横切って旅をつづけた。かれとともに、もう一人の弟子もいた。トマはお召しを受ける前に、さらに北方に旅をしようと決心していた。かれはこの計画を思い切ることができなかった。かれはいつもあまり多くのことをしようとしておそくなることがあった。それでかれはまず現在ロシアになっている地方への旅についた。そこで再びお召しを受け、やっとエフェゾへ急いだのである。かれがいっしょにつれていた従者はタタール人で、かれが洗礼を授けたのであった。聖マリアの死後トマはもはやタタール地方には行かなかった。後にはかれはインドで槍で刺し殺された。 - 

 聖母はすでに死に近づいていた。そしてその寝室の寝台に静かに休んでおられた。わたしは婢が非常に悲しみ、時々部屋の片隅に跪き祈っているのを見た。わたしはまた二人の聖母の親戚の者が五人の弟子たちといっしょに到着したのを見た。皆は非常に疲れていた。多くの者は再び会うことができた喜びと、悲しみに泣いた。

 家に入る時に、その旅のマントや杖、袋、帯等をとり、白い長い肩着を巾広く襞ゆたかに足のところまで下げ、自分たちが持って来た文字の書いてある巾の広い帯をした。そして感激に充ち溢れて挨拶をするためにマリアの寝台に近づいた、しかし聖母はほとんど僅かの言葉しか話すことができなかった。 -

 わたしはここに着いた人々が、各自の持って来た器に入っている飲み物以外には何もとらなかったのを見た。かれらはまた家の中では眠らず、家の外の壁沿いの柱に差し掛けられた簡単な屋根の下で眠った。

 わたしはかれらが家の前の部屋に、ミサ聖祭と祈りのために場所を準備したのを見た。そこにはまた祭壇ももうけられた。

 さて、使徒たちは一同揃って聖母にお別れをするためにその寝室に入った。その間弟子と婦人たちは前の部屋で立っていた。

 マリアはきちんとお座りになった。使徒たちは一人一人その寝台の前に跪いた。マリアは祈りをし、十字に交叉したおん手をもって祝福された。弟子や婦人たちにもまたこのようにされた。聖母はなお皆をいっしょに集めて語り、イエズスがベタニアでご自分に命ぜられたことを行われた。ヨハネにはそのおん体の処置について指示を与えられた。またその着物を婢とたびたび手助けに来ていた近所のもう一人の婦人にお分けになった。わたしは聖母が戸棚を指さすと婢がその方に行きそれを開きまた閉じているのを見た。

 さてペトロはすでにわたしがベトサイダの池のほとりの教会で見たような様式でミサを捧げた。祭壇にはランプの代わりにローソクがともっていた。この式の間ずっとマリアはその寝台の上に坐ったままでいた。

 ペトロは他の人々に御聖体を授けた。ヨハネはその時聖血の入っている杯を皿の上にのせて運んだ。この杯は晩餐の時の杯と同じような形をしていたが、小さくて鋳物のように白かった。その柄は二本の指でやっとつまめるほどの短さであった。タデオは小さな香炉を運んだ。まずペトロは聖母に終油の秘跡をお授けした。それは現在行われているのと同じであった。それから御聖体をお授けしたが聖母は誰にも支えられずにお受けになり、再び横になって祈られた。次にまた起き上がられるとヨハネが聖杯をお渡しした。

 御聖体拝領後マリアはよはや語られず、ただ天を見つめておられた。顔は乙女のように輝きほほえんでいた。わたしはその部屋の屋根はもはや見えなかった。ランプは空中にかかっているようであった。そして一条の光線がマリアから天のエルサレムおよび聖三位の玉座に達した。その光線の両側に、天使たちの顔が見える光雲が輝いていた、聖母はその腕を天のエルサレムの方に差し伸べられたが、その体は寝台の上に高くあげられたので、わたしはその下を見通すことができた。

 その時体から輝く姿が立ち上がったようであった。すると天使の二つの群れがこの姿の周りに集まり、いっしょに昇って行った。そしてその姿が体から離れると、体は腕を組んだまま寝台に戻った。

 大勢の聖い霊魂たちがマリアをお迎えにきたが、その中にわたしはヨゼフやアンナ、ヨアキム、洗者ヨハネ、ザカリア、エリザベトたちを見た。マリアはこの友人たちに伴われておん子の方に昇って行かれた。おん子の傷は、おん子をとりまく光よりも遙かに美しい輝きを放っていた。

 神のおん子はそのおん母を迎え、王笏を与え、全地球をくまなくお示しになった。その時非常に嬉しいことには、煉獄から解放された沢山の霊魂たちが天国をさして昇っていった。そしてわたしは毎年聖母の被昇天の大祝日にこの浄めの場所から、大勢の聖母の崇敬者が解放されるという確信を受けたのである。

 聖母が死去された時は第九時で、それはイエズスが十字架上でご死去になった時間と同じであった。ペトロとヨハネはマリアの聖き霊魂の光栄を見たに違いない。というのは二人は顔を上に向けていたからである。他の使徒たちは地上に跪き、ひれ伏していた。聖母の体はその目を閉じ、胸の上に手を組み、輝いてその寝台の上に休まれた。

 婦人たちは体を布でおおった。そしてヴェールを被って家の前の部屋であるいは跪きあるいは坐って祈った。使徒たちもまた首に巻いた巾の広い布で頭を包み、祈りの位置に並んだ。かれらはいつも二人ずつで聖き体の頭と足の傍に跪き祈った。わたしはその日かれらが何度も交替したのを見た。使徒たちはまた十字架の道も歩いた。

 アンドレアとマテオは、マリアとヨハネが十字架の道のキリストの墓の場所として作った小さな洞穴に埋葬の準備をした。この洞穴は主の墓のように大きくはなかった。やっと人が立てるほどの高さであった。墓の周りには、柵をめぐらした庭があった。道を斜めに降りて行くと、中には祭壇のような石造りの聖屍台があった。カルワリオ山の留はほど近い丘の上にあった。しかしそこには十字架は立っておらず祈念碑に十字架が彫り込まれていた。

 アンドレアは特に墓所で多く働き、墓の前に扉を取り付けた。

 聖遺骸は婦人たちの手で埋葬の準備が行われたが、その中にはベロニカの娘や、ヨハネ・マルコの母親等がいた。かの女たちは香料や新しい薬草の入った壺を持ってきた。そして家を閉じ灯をともし、奥の方の間で働いた。この間使徒たちは表の方の部屋で、一部の者は家の外で斉唱で祈りをした。婦人たちはちょうど主の埋葬の時のように、大きな感慨と畏敬とをもって仕事を行った。かの女たちは聖遺骸を長い棺のような籠の中に置いた。聖遺骸は輝き、また空の包みのように軽かったので、苦もなく手の上にのせることができた。おん顔は生き生きとして血色がよかった。婦人たちはまた髪を少し切り、聖遺物として各自がいただいた。

 聖遺骸がその白い衣服の上に、さらに白い布で巻かれる前に、ペトロは次の間でミサ聖祭を捧げ、使徒たちに御聖体を授けた。

 次いでペトロとヨハネは儀式のマントを着て部屋に入った。ヨハネは油の入った器を持ち、ペトロは聖遺骸の額、手、足等に祈りの言葉とともに十字架の印に油を塗った。さて婦人たちはマリアの聖遺骸をすっかり布で巻いた。頭には処女の表徴として、白や紅や空色の花の冠を置いた。また冠に囲まれお休みになっている神のおん母の顔が見えるように、透き通った布をその上に掛けた。こうして準備が終わると聖遺骸は雪のように、白い木の棺の中にねかせられた。その蓋は中窪みになっていて、ぴっちりと閉じられた。そして上下と真ん中で灰色のバンドで棺に結きつけられた。すべては極めて厳かにまた感動のうちに行われたが、恐怖とおののきの中で行われたイエズスの埋葬の場合よりも、その悲しみの感情ははるかに人間味豊かにあらわされていた。

 さて棺は半時間ほど離れた所にある墓に運ばれた。六人の使徒が聖遺骸を運んだ。

 他の者たちは祈りながら棺の前を進み、婦人たちはこれにしたがった。また棒の先につけて火籠もいっしょに運ばれた。

 墓の洞穴の前に棺台が下ろされると、四人の使徒が持ち上げて洞穴の中に運び、主の墓のように窪みのある聖骸台の上に置いた。一同は一人ずつ洞穴の中に入り、聖遺骸の前に跪いて敬意を表しお別れをした。それから墓は網戸をもって閉じられた。洞穴の入口の前に使徒たちは溝を掘った。その中に、一部は花が咲き、一部はすでに実がついている灌木を植えた。そして水をやり、ぎっしりと隙間なく植えたので、ただ横側からこの繁みを抜けて洞穴に入ることができるだけであった。

 次の日の夜マリアはその体も天に召された。わたしはその夜大勢の使徒や聖婦人たちが墓の前の小庭で祈り、詩編を唱えているのを見た。

 わたしは天から巾の広い一条の光線が墓の上に降り、その中に三つの天使たちの光栄の群れと、その群れの真ん中にマリアの霊魂が漂うように降って来るのを見た。そのかれらの前を、輝ける傷をもったイエズスが進まれた。わたしはそこに居合わせた者の内どれだけの人々がそれを見たかは知らない。ただわたしはかれらが驚いて見上げ、あるいはおののきつつ地上に顔を打ち伏せたのを見ただけである。この示現がますます明らかになった時、墓の洞穴からまた一条の道が開いた。マリアの霊魂はイエズスの前を通りすぎ、巌を通って墓に入り、その変容した体とともに輝きつつ昇った。そして凱旋高らかに天のエルサレムに昇って行き、この天の示現はすべて消え去った。

 その後使徒たちが斉唱で祈りをしている時にトマが到着した。かれは、聖母をすでに墓に運んでしまったことを聞いて非常に悲しんだ。かれは痛く泣き崩れ、あまり遅く来たことをどうしても諦めることが出来なかった。痛々しき涙のうちにかれはマリアの聖なる霊魂がその体から離れた場所に打ち伏し、また祭壇の前でも長い間跪いていた。

 使徒たちは、トマが着いた時もその斉唱を止めなかった。かれらがトマの所に来ると、トマを抱き起こして抱擁し、パンや蜂蜜や飲物等を小さな壺から出してすすめた。それから一同はかれを伴って灯を持ち洞穴の墓に赴いた。二人の弟子が灌木を傍に押し退けると、トマは中に入り棺の前で祈った。ヨハネが棺を縛っていた三本の紐を解いた。かれらは蓋を取り傍に置いた。非常に驚いたことには、聖骸布はもぬけの殻のようにそこに残っていた。ただ僅かに顔と胸の所だけが開いていた。使徒たちは驚いて上を見上げた。ヨハネは、
 「聖母はもうここにおられないぞ!」と叫んだ。他の者たちもまた中に入って来て、手を挙げ、地に打ち伏して泣きかつ祈った。かれらは前夜の光雲のことを思い出した。さて、かれらは覆いの布を全部棺の中から遺物として取り出した。

 帰りの途はずっと祈り、詩編を唱えつづけた。

 わたしはまた一同が家で礼拝を行っているのを見た。 - その数日間、かれらは時々輪を作って集まりお互いに自分らのいた土地の様子や経験したことなどを語り合った。

 使徒たちが再び旅立つ前に、墓の洞穴の周囲に土壁を築いてまったくその中に入られぬようにした。しかし洞穴の後方から、その後壁に通ずる低い道を掘りあけた。そして壁に一つの窓をあけて、そこから聖骸台を見ることができるようにした。この道は聖婦人たちだけが知っていた。墓所の上には木造の礼拝堂が建てられた。中にある小さな祭壇は石造りで、石段の上に立っていた。その祭壇の後にはマリアの肖像を刺繍した布が下げられていた。墓前の庭や十字架の道は、使徒たちの祈りの聖歌のうちに美しく整えられた。

 またマリアが祈り、憩われた部屋は小聖堂に作りなおされた。婢は前の家に住み、二人の弟子が近所に住む信者たちの牧者として残された。 -

 使徒たちはマリアの家で厳かな儀式を行ってから、涙と抱擁の中にお互いに別れを告げた。

 その後なおかれらはここで祈りをしに各自でたびたび訪れてきた、わたしはまた信者たちが他の場所に聖母の家の形に似せて小聖堂を建てたのを見た。

 また十字架の道とマリアの墓は長い間キリスト信者から熱心に訪ねられた。


終わり            前へ戻る          キリストのご受難を幻に見て 目次へ